もうかれこれ10年以上になってしまったが、私が留学中(1996年~1998年)にみた米国は、ものが本当に豊かで、とにかく異常に太った人が多く(本当です(^^))、またアメリカ合衆国自体を世界と思っていて(大リーグの最終戦を”ワールド”シリーズという位ですからね(^^;))、その他の国のことはほどんど眼中にない人が驚くほど多かった。
アメリカに憧れ意気揚々と留学先に向かった私の眼に飛び込んできたのは、都市部の少しはずれにあるスラム街の荒れ果てた住居だった。荒れた地域の次には、庭にきれいに狩られた芝生がある美しい家並みが続く (まさしくよく映画で見る風景です)地域となった。その差に、驚くとともに、なぜという疑問があった。
聞いてみると、その荒れた地域には黒人が住んでいるという。白人の人から、あの地域は危険だから絶対にいったら駄目よ、とよく言われていた。そうその差別が歴然と存在する現実を目の当たりにし心から驚いたことを今も鮮明に覚えている。
それからユダヤ人への差別も存在していた。私はユダヤ人だから、普通の仕事が見つからずに散髪の仕事をやっているのよ、と言っていた。もちろん、私たちアジア人へも差別的な眼はあった。私はその時は学生だったので、それほど大きな差別を受けることは無かったが、それでも金持ちボンボンの息子そうな白人からは相手にされなかったのを今でも覚えている。
そう、そういった実質的には白人至上主義の米国で、黒人の大統領が生まれたのである。
これは、本当に大きな意味がある。もちろん、黒人やヒスパニックなど有色人種の割合が増えたことも理由だとは思うが、私はそれ以上の理由として、米国がそれだけ経済的にも追い込まれてしまったことがあげられるのではと思っている。
今思い返してみれば、サブプライムローンも、落ち込みがちな消費を復活させるために低所得者に積極的に融資をするという、最後のあがき的な経済政策だったのかもしれない、と考えることもできる。
とすると、その最後のあがきも破綻してしまった今、米国としては打つ手がなくなってしまったのでは、と考えられる。
だから、一か八かの賭け、というか藁をもすがる思いで、黒人大統領の誕生となったと考えても筋はとおる。
上記の仮説が正しいと仮定すると、もう米国の経済は否応にも衰退をたどるであろう。いつまでも日本が米国に頼っていると、一緒に奈落の底に落ちてしまうことになってしまう。これまでの米国に頼る政治からは卒業して、日本としてしっかりとやるべきとをやらなければならない時代になってきたと言える。
だから、こそこれからの政治は本当に重要だと思う。
なのに、あの首相の軽さはどうしたもんだろう・・・・・・、
もう政治に頼っておられないんだろうな、と諦めとともに、これからは自分たちで変えていかなくては!と心の底より思うようになってきた。
新たな時代をつくっていくために準備をしなくては。 やることはたくさんある。
私と同じ思いの人、一緒に語り合いましょう!
そして、まずは自分たちから変わっていきましょう!
投稿日時: 2008年11月24日 11:24 PM トラックバックURL