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田中の部屋
石巻ボランティア報告(その2)
次なるcoincedence(偶然の連鎖)はどんな形になるのか。
期待と不安で石巻ボランティアセンターのある専修大学グランドに午前5時ごろに到着。

驚いたのは、たくさんのボランティアの方が、車やグランドにテントを張って待機していること。       総勢300名はいたと思う。

テントで宿泊する石巻ボランティアの皆さん

テントで宿泊する石巻ボランティアの皆さん

運転の疲れをとるために少しだけ車の中で仮眠後、朝7時前に起きて、社会起業大学2期の井上弘美さんがつくってくれた愛情弁当(放射能解毒作用もある)を食べた。雨も降っているし、これからどうなるかわからない心細い状況ではあったのだが、その愛情弁当で勇気をもらって、これから頑張ろう!と気合いが入った。

そして、すでに日本警察消防スポーツ連盟の方も専修大学の方についているとのことだったので、さっそく探してみて、プロっぽい方々をみつけ声をかけてみたら、まさしく連盟の方々だった。自分の直感も捨てたものではない(^^)

さっそく、当日の行動予定を聞いたところ、先方より、「申し訳ないですが、予定が変わります」とのこと。

えっ、、、、、と思いつつ話を聞くと・・・ 

瓦礫撤去の活動をする予定だったが行方不明者の捜索をすることになった、とのことなのだ。連盟の皆さんは、警察や消防の出身の方なので、行方不明者捜索でもプロである。しかし、素人の私たちの同行は、もちろん厳しい。

そこで、別のボランティア先を手配するということで紹介されたのが、『蛇田小学校』だった。

すでに話を通しているので、蛇田小学校の木村明子先生宛に行ってください、との言葉を残して連盟の方は行方不明者の捜索に出発。私たちは、さっそく蛇田小学校に向かった。

蛇田小学校は、石巻市中心街よりも少し山手にある小学校で、津波の被害はのがれていて、住民の皆さんの避難所にもなっていた。

蛇田小学校

蛇田小学校

避難者の方々の生活も目処が立った方も多く、避難者の方がご自宅に戻る中、小学校も4月21日の始業に向けて生徒を受け入れる準備が必要になっていた。私たちの作業内容は、避難者の方々が出て行った教室や廊下の掃除、机の搬入など。

最初の教室に入ったときに驚いたのが、黒板が3月11日のままだったこと。いかに当時の混乱がすごかったかは、机に残っていた生徒の持ち物をみてもわかった。

蛇田小学校の黒板。時が止まっている。

蛇田小学校の黒板。時が止まっている。

木村先生の元気かつスピーディーな指示のもと、6名の力を合わせると結構スムーズに作業が進んで、かなりの部分がきれいに整頓がされた。体を使って働くのもよいもので、私たちも心地よい達成感に浸っていた。

木村先生を筆頭に学校の職員の皆様、避難されている皆さま、それぞれがとても元気で、それはある意味私たちの想像を良い意味で覆してくれた。被災地の方々は、つらい経験を皆さんされていますが、それらを乗り越え、これからの生活の立て直しのために必死である、ということを肌で感じた。

木村先生と
木村先生と

木村先生が今一番欲しいものは、「バランスのとれた食事」だそうだ。パンやおにぎりは余るほどにあるそうで、野菜やお肉を食べる機会がほとんどないそうだ。

被災地の皆さんが、今の段階でもっとも望んでいることは、「普通の生活を取り戻すこと」であるのを強く感じた。

一緒に掃除の活動をした現地の方も自分の勤務先が震災でやられてしまって自宅待機中だが、家にいても不安が増すのでボランティア活動に集中しているとのこと。 

これから大事なことは一日も早く被災地を復興することであることを改めて肌で感じた。

9日の作業を終えて、予定通り、専修大学にもどって車中もしくはテントで寝ることを考えていた。

しかし、coincidence(奇跡的なこと)がまた起こる。

なんと、木村先生より、学校の中で寝てもよいという提案をいただいた。さらに、石巻で唯一開店している寿司屋を紹介したいので、一緒にいかないか、とのお誘いももらった。

もちろん、仲間も皆大喜びで、一同、お寿司屋に向かった。現地にお金を落としていくのも大事な支援である。

木村先生お勧めの大名寿司

木村先生お勧めの大名寿司

被災地でお寿司が食べれるなんて思ってなかった私たちが至上の喜びに浸ったのは言うまでもない。ただ、それ以上に私が感動したのは木村先生の話で、感動のあまり涙をしてしまった。

木村先生の家は、今回の津波で流されてしまい、今は松島の実家から通っているとのこと。写真もみせてもらったが、大変な状況だった。家をなくした悲しみはどれほどのものか。

そんな木村先生は、他の先生とも話をして、どうしても6年生の卒業式をやりたいと思ったそうだ。

体育館や教室は避難所になっていて使えない。そこで、考えたのが、グランドに椅子をおいて、そこで卒業式を行うというもの。

その尊い試みに天も味方をしたのか、卒業式当日(3月30日)は快晴となり、快晴の空のもとで卒業式を行ったとのこと。

東京でも卒業式が自粛されるなどあったにもかかわらず、被災地で、それもグランドで、卒業式を決行した蛇田小学校の皆さまの尊い行為を思い、私は涙が出た。

小学校から卒業していく生徒の思いを考えれば、卒業式は何としても行うべきだと私も思う。卒業式を自粛した多くの学校の経営者の皆さんにも、今回の蛇田小学校の尊い行いは知ってもらいたいと私は強く思う。

今回の報告の最後に、木村先生よりいただいたメールを紹介する。木村先生のお人柄と生徒への思いを感じると思う。

-----以下、メール文面-----

9日には,本校においでいただきまして,ありがとうございました。皆様との縁を取り持っていただいた志澤さんにも感謝ですね。

石巻とは縁もゆかりもない皆様が,「とりあえず行ってみよう!」というお気持ちでこちらまでおいでくださったこと・・・石巻の人間としては非常にありがたく,言葉に表せない感激を味わいました。

今日で震災から1か月。

日常生活からあまりにもかけ離れてしまった状況に戸惑う間もなく,とにかく目の前のことをこなして進むだけでした。1か月あっと言う間に過ぎました。

もしかしたら体も気持ちも疲れているのかもしれませんが,避難所でのいろいろな方との出会い(ボランティアに参加してくださった安部さん等,顔なじみになった方がたくさんいます。みんないいかたです),そして,皆様のように支援に訪れてくださる方との出会いが私の活力源になっています。

皆様と共に働き,語り合い,お寿司をいただいた日は,実に充実した一日でした。

今回の災害に巻き込まれて,「人とのつながり」の尊さを感じる日々です。家や多少の物は失いましたが,たくさんの人とのつながりを確認できたり,新しい人とのつながりができたり,震災前よりも気持ちがゆたかになれたように感じています。

 これを機会に,ぜひ今後も皆様と親しくさせていただければ幸いです。

本校も,13日に臨時登校日を控え,普通教室に入っていた避難者の皆さんが体育館や特別教室にご移動を完了されました。社会起業大学の皆様に机・いすを整えていただいておりましたので,空いたばかりの教室の復元もスムーズにできました。

おかげさまです。

13日には,震災後初めて児童が登校しますので,どんな様子か心配です。不安やショックを抱えた児童が,21日の始業式を楽しみに待つようになってくれたらいいな,と考えています。

昨日,通信表も無事完成しました(笑)

-----メール文面終了-----


投稿日時: 2011年4月14日 12:16 PM トラックバックURL

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