「和をもって尊しとなす」
この言葉は、日本の組織風土を表す言葉としてよく用いられていますが、皆さんはどのような意味でとらえているでしょうか。
「出る杭は打たれる」「争いは表面化させずに水面下(根回し)でことを進める」「妥協」などのイメージを持っている方が多いのではないのでしょうか。
ただ本当の意味は違うようです。
数年前に出会った日本文化を研究しているある方から、以下のことを言われました。
「田中さん、本当の意味は違うんですよ。聖徳太子が込めた意味は、各々がもっているものを社会のためにすべて出し、それらをともにぶつけ合いなが ら、もっとも良いものを生み出していくこと。そして、そのためには、各人が自分の能力や考えを社会全体のために最大限生かすための努力を怠らないと同時 に、他人の意見も受け入れ尊重できる寛容さも持ち合わせることが必要だとということです。」
この話を聞いてから、なかなか変われない日本組織を表す代名詞だったこの言葉を、私はとても好きになりました。そして、和の精神の奥深さ、さらには私たち日本人が、和の精神のことをちゃんと理解していないということもわかりました。
自分の持てる力を最大限発揮しつつ、他人の考えを尊重できるって、言葉では簡単に言えますが、なかなかできることではないと思います。でも、それができる人が集まって何かを始めればきっと良いものが生まれそうですよね(^^)!
そうなんです。私と同志の皆様で始めたキャリトレも、そういった人たちと出会いたい、そういった人を育てたいという思いを実現するためのものです。
キャリトレの活動の先にあるものが、「和の精神」だったのですね。
「和の精神」を実現できる社会づくり、是非とも形にしたいと思います!
投稿日時: 2008年4月29日 1:37 PM トラックバックURL