「働くとは何か?
私は現在大学生の身分です。卒業後に社会に出て働くことに、疑問や抵抗はありません。むしろ、なんら感じていないことが不安ですらあります。働く上での目標や意義も特になく、ただ「勤労する」ことしか考えていません。この先に大きな不安があるわけでもなく、むしろ何も感覚を持ち合わせていないことが不安です。何かしら、夢や目標を持たなければいけないのでしょうか。」
以上は、社会起業大学にインターンに来ていた学生より私宛にもらった質問だ。
私が特に驚いたのは、「勤労する」という言葉だった。
この学生は、働くということを、社会や組織の歯車になっていくという風にとらえているのだ。だから、働くことに対して、義務的な感覚しかなく、夢や目標を持つということはないようなのだ。
この学生と同じような感覚をもった学生が多いかもしれないと思った瞬間、私はぞっとした。
そういえば、私は、「ワークライフバランス」という言葉もあまり好きではない。
なぜなら、この「ワーク」の言葉には、
「ワーク」 = 「勤労」
ということを前提としているとも言えるからだ。
そもそも、田植えや猟をやっている時代に、ワークライフバランスなんて言葉はなかったと思う。田植えや猟も、仕事であると同時に、生きていくためのすべであり、ライフそのものであるからだ。
いつから 「ワーク」 と 「ライフ」 が切り離されたんだろう?
と考えると大量生産時代のベルトコンベア的な仕事に行きつく。
つまり、ひとりひとりは、組織のパーツでしかなく、言われたことと言われたとおりにやることだけを求められる、そういった働き方だ。
確かに奴隷のように、ただただ言われたことをこなしていくのであれば、その時間帯は我慢して仕事をして、それ以外の時間で、余暇や家族サービスを楽しむ、という考え方が出てくるのでしょう。
ようは、「ワーク」 = 「勤労」 と捉えるようになってから、 「ワーク」 と 「ライフ」 を分けて考えるようになったのかな、と私は思う。
しかし、人生の多くの時間を費やす仕事(ワーク)が、勤労となってしまっては、何のための人生なのか! って思う。
言われたことを淡々とやりながら、短い余暇を楽しみにする、という生き方で、本当に豊かな人生になるんだろうか。
私は、日本が元気がなくなっている理由の大きな一つが、この働くことへの情熱がなくなった、働く意味や楽しさを見失ったことなのではないかと考えている。
そもそも、 「はたらく」 の 語源は、 「はた(傍)」 を 「らく(楽)」 にする、ことから来ているという。
つまり、働くというのは、社会や人の役に立って、その対価としてお金(報酬)をもらう、ということだ。
この単純だけど、とても大事なことが、今忘れ去られているんだと思う。
社会的事業をやっている人はもちろん、大企業で働いている人たちだって、その企業活動を通して社会の役にたっている。
大企業だって社会の役に立っている。
なぜなら、社会に役にたってない企業は、存続しないのだから・・・
問題なのは、
働いている人たちが、社会の役にたっていることを実感できてないことだ。
まずは、それぞれが自分の仕事を見直してみて、
「自分の仕事がどうやって社会の役にたっているのか?」
を考えてみることから、初めてみてはどうか。
意外と、社会の役にたっていることに気づくかもしれない。
それが、「はたらく」ことの意味、楽しさ、やりがいをみつけていくことの、第一歩なのかもしれない。
そして、「はたらく」ことが、自己実現につながっていることを感じることがでれば、
きっと
「はたらく」ことが、もっともっと楽しくなると思う。
「はたらくを楽しむ」 田中より
投稿日時: 2010年9月16日 6:42 PM トラックバックURL